第4章第8考:【体・マラソン17】第7弾(最終章):涙の阿蘇100kmと、延岡西日本の死闘。そして俺の生き様

第4章【体】

痛快 天月です。

私のランナーとしての歩みと、記憶に刻まれる15の大会を紹介してきたこの連載も、いよいよ最終章です。
3回目の東京マラソンで3時間40分を叩き出し、心技体が完全に覚醒した私。ここから、私のランナー人生は最高峰のクライマックスへと突入します。

肉体と精神の限界を超えた、命がけの「生き様」の記録です。


16. 阿蘇カルデラスーパーマラソン 100㎞

5月の恒例行事として過去2回、50kmの部で牙を研いできた私ですが、ついにその時が来ました。
「よし、いよいよ未知の領域、100km(ウルトラ)へ挑む!」

月刊誌『ランナーズ』には、100km完走の最低条件として「参加前3ヶ月間、毎月200km以上(計600km)の走り込みが必要」とありました。あまり走り込みすぎると故障のリスクがあるため、適度に休息を入れながら綿密な計画を立て、私はその過酷なノルマをきっちり達成して本番を迎えました。
ちなみにエントリー料金は1万8,000円ほど。知人と「1km走るのに180円も自分で払って、わざわざこんな苦しい思いをするんだな(笑)」と笑い合ったのも、今では良い思い出です。

大会前日、阿蘇のペンションに前日入り。
翌朝、まだ暗い早朝5時のスタート前、全国から集まった変態ランナー(褒め言葉です)たちが一同に介し、「エイエイオー!」と凄まじい気合を入れます。完走率はわずか55%前後というサバイバルレースの幕開けです。

早朝の涼しい空気の中、号砲とともにスタート。
私のフルマラソンの法則通り、前半の50kmまでは難なくあっという間に過ぎ去りました。

本当の「苦行」は、折り返しの50kmを過ぎてからでした。
コースの途中から「50kmの部」のランナーたちと合流するのですが、彼ら、彼女らは今スタートしたばかりでめちゃくちゃ元気なわけです。すでに50kmを激走してへとへとになっている私の横を、弾むような足取りで次々に追い抜いていきます。

あの時の絶望感と言ったらありません。何度も足が止まり、頭の中で「もう諦めよう、リタイアしよう」という悪魔の囁きが響きました。
しかし、そのたびに握りしめた拳の痛みが、私の魂を引っ叩きました。

「ここで諦めたら、俺の人生は何だったんだ。泥水をすすってきた俺の、本物の生き様をここで見せてみろ!」

気持ちを限界の先まで振り絞り、一歩、また一歩と足を前へ出し続けました。
制限時間13時間30分のうち、時計の針が13時間を指したその時、私はついに、100km先の栄光のゴールゲートをくぐり抜けました。

最後の100m、これまでの人生の悔しさ、苦しさ、そしてやり切った喜びが濁流のように押し寄せ、視界が涙でぐしゃぐしゃに滲んでいました。
後日届いたゴールの写真を見ると、満身創痍の私の体は、不格好に右斜めに大きく傾いていました(笑)。
その夜は、翌日の午後3時まで寝返りすら打てないほどの凄まじい筋肉痛に襲われましたが、私の胸には「100kmを支配した」という、一生消えない絶対的な自信が刻まれたのです。


17. 延岡西日本マラソン

100kmを制した私が、市民ランナーとしての「最後の聖戦」に選んだのが、制限時間が極めて厳しい超シリアスレース「延岡西日本マラソン」でした。40km地点の関門が3時間30分。1kmを平均5分15秒で走り続けなければ、その時点で即失格となるプロ顔負けの大会です。

延岡市役所前をスタートし、再び戻ってくる平坦で走りやすいコース。しかし、お祭り要素は皆無の、純粋な「時間との闘い」です。ここでも私のすぐ後ろには、白バイとリタイア収容車が不気味にピッタリとついてきました。

後半のバテを計算し、私は「1kmを5分ジャスト」で刻む突撃作戦を決行。
スタートから10km、15km地点までは予定通りのラップを刻みましたが、やはりシリアスレースの風圧は凄まじく、徐々に肉体に疲労が溜まっていきます。この辺りで、先頭集団が早くも折り返してすれ違いました。旭化成や富士通といった、実業団の若き本物の怪物たちの走りを目の当たりにし、大興奮すると同時に、自分の足にもさらに力を込めました。

しかし、20km地点。
ふと後方を確認した瞬間、私は背筋が凍りました。すぐ後ろにパトカーがいる。そして、そのパトカーの後ろには「誰もいない」。私より後ろを走っていたランナーは、全員すでにリタイア収容されていたのです。私が文字通りの最後尾でした。

折り返し地点はすぐそこに見えている。
しかし、私の肉体のガソリンは、そこで完全に底をつきました。

気がつけば、私は収容バスのシートに座っていました。運転手さんの「お疲れ様でした」という静かな声が響きます。
「ここまで完全にやり切った」という清々しい充足感と、「もう少しだけ、あの白バイの前を走っていたかった」という悔しさが、頭の中で激しく交錯していました。結果はリタイア。しかし、自分の限界まで直線一気で突っ込んだ、悔いのない最高の戦いでした。


■ 終章:走り終えた、その先の景色

その後、私はマラソンとは全く関係のない大病を患い、2週間の入院生活を余儀なくされました。

そして退院した今、私はもう、あの本物のマラソン大会のスタートラインに立つことはないでしょう。現在は、体に無理のない範囲で軽く走ったり、プールで泳いだり、のんびりと散歩をしたりして、日々の【体】のバランスを整えています。

ですが、40代から50代にかけて、あの各地のロードでパトカーに追われ、雨に濡れ、涙を流しながら100kmを走り抜いたという「強烈な経験」は、今も私の血肉となって脈々と流れています。

あのフルマラソン35km地点の地獄、そして100kmの50km以降を踏み越えてきたメンタルがあるからこそ、私は還暦を迎えた今でも、何一つ怯むことなく「資産3億円」という次なる壮大なマネーゲームのスタートラインに立つことができているのです。

私のランナー人生を支えてくれた各地の大会、温かい沿道の皆様、そして一緒に走ってくれたすべての道路に、心からの感謝を込めて。

【体・マラソン15】―― 完。


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