俺は大学時代、法学部に籍を置いていた。
若い頃の俺は、将来は法律に関わる固い仕事に就こうと考え、裁判所職員の採用試験に挑んだ。だが、結果から言えば、試験には通らなかった(笑)。
今振り返れば、それが人生最初の大きな挫折だったかもしれない。
だが、俺はそこでへこたれる男ではない。
「ならば、別のところに就職し、働きながら司法書士にでもなろうか」
そう考えて、今度は司法書士という超難関資格の猛勉強をスタートさせた。結局、こちらも合格という果実を手にするまでは至らなかったのだが、俺の心には一切の後悔はない。
なぜなら、大学の法学部、裁判所職員の試験、そして司法書士の勉強という一連のプロセスの中で、俺は、法律の思考法が、その後の仕事や投資で物事を見るときの土台になった。
前にも書いたが、法律の世界を貫く「原則」「例外」「再例外」という思考のフレームワークは、合格・不合格という世間の物差しを超えて、還暦を迎えた今でも俺の仕事の絶対的な中心(根っこ)として役に立ち続けている。
世間は、試験に「受かった人間」を成功者と呼び、「落ちた人間」を敗北者と切り捨てる。
だが、そんな浅薄な連中の見方など、俺の人生には一ミリも関係ない。
本当に大切なのは、「その学びの過程で、自分の脳みそにどんな工夫と知性をインストールできたか」だ。
裁判所職員にはなれなかった。司法書士にもならなかった。
しかし、その挑戦を通じて叩き込まれた「法の思考」という武器があったからこそ、俺はその後、㈱サミーのパチスロ機の製造番号の確認から売り上げを予想し、2000万円の利益をあげたように、冷徹で痛快なマネーゲームを戦い抜くことができたのだ。
娘よ、試験の合否なんてただの記号だ。
一見、点と点に見える過去の挫折や回り道は、お前が「努力と工夫」を止めない限り、未来のどこかで必ず一本の強力な線となってお前を支える武器になる。

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