痛快 天月です。
特に記憶に深く刻まれている15のマラソン大会を、私のランナーとしての進化の軌跡とともに紹介する連載の第4弾です。
ハーフを日常のルーティンにし、東京マラソンで最高の脳汁を出した私ですが、マラソン経験5年を迎える頃、胸の内に「次なる野望」が芽生え始めていました。それは、未知なる領域――「100kmウルトラマラソン」への挑戦です。
今回は、その前段となる50kmへの挑戦と、私のランナー人生で最もシリアスな死闘となった大会の記憶をお話しします。
9. 阿蘇カルデラスーパーマラソン 50㎞①
100kmウルトラマラソンへのステップとして、5月に熊本県阿蘇で開催されている50kmの部へとエントリーしました。
舞台は壮大な阿蘇の山。距離自体が42kmの壁を越えているだけでなく、コースの途中に高低差500mもの激しい上り下りが待ち受ける過酷なコースです。
しかし、いざ走り出すと、目の前に広がる阿蘇の圧倒的な絶景に魂が震えました。過酷な坂道を上り詰める中、私の頭の中は再び快楽物質(脳汁)が出まくり、完全に「トランス状態」へ突入。大自然と一体になりながら、50kmという未知の距離を最高の興奮状態で駆け抜けることができた、記念すべきウルトラへの第一歩です。
10. 防府(ほうふ)読売マラソン①
それまで制限時間5〜6時間の比較的「お祭り要素」の強い大会に出ていた私ですが、ランナーとして「サブフォー(4時間切り)」という明確な目標ができました。それならば、あえて自分を厳しい環境に追い込もうと、制限時間4時間の非常にグレードの高いシリアスレース「防府読売マラソン」への挑戦を決めたのです。
12月の冷たい寒風が吹き荒れる中、テレビ中継が入り、実業団のトップランナーたちも集まるピリピリとした緊張感。
号砲とともにスタートしましたが、周囲のレベルが高すぎて一気に抜かれ、気づけば私はほぼ最後方にいました。ふと後ろを振り返ると、そこにはリタイアしたランナーを収容する「回収バス」、そして「パトカー」と「白バイ」がピタリと追走してきていました。まるで「脱落者はいないか」と狙われているような、凄まじいプレッシャーです。
必死に足を動かし続け、30km手前付近に差し掛かったその時、冬の空にドンと花火が上がりました。トップランナーがゴールした合図です。
沿道にいた常連らしき応援のおじさんが「トップはゴールしたぞ!がんばれ、あと少し!」と声を張り上げています。応援してくれているのか、それとも茶化されているのか(笑)、一瞬分からなくなりましたが、とにかく1秒の猶予もありません。
死に物狂いで走り続け、タイムは3時間59分。
本当にギリギリのところで滑り込み、サブフォーを達成しました。このレースこそが、私の人生で初めて「42.195kmを一度も途中で歩かず、完全に走り通した」本当の意味でのフルマラソン完走の瞬間でした。白バイのプレッシャーに打ち勝った、魂のレースです。
11. 指宿(いぶすき)菜の花マラソン②
防府読売での「歩かず完走」という凄まじい余韻と興奮が冷めやらぬまま、私はわずか1ヶ月後に、再びあの指宿の地へ立っていました。
この時の宿泊先は、なんと地元の「公民館」。
「明日は42km走るんだよな……?」と思っている私をよそに、地元の温かい人たちが「まあ飲みなさい」と、特産の焼酎で豪快にもてなしてくれたのです(笑)。防府のシリアスな緊張感とは180度違う、九州の人の温かさと大らかさに深く癒やされながら挑んだ、最高に楽しい大会でした。
■ 第4弾のまとめ:自分を追い込んだ先にある、本物の完走
パトカーと白バイに追われながら、初めて一歩も歩かずに掴み取った3時間59分のサブフォー。
あの時のギリギリの戦い、そして「一歩も妥協せずに走りきった」という経験は、今の私の生き方に絶大な自信を与えてくれました。
俺にとっては、楽な道では味わえなかった達成感だった。これは、還暦からあえて「資産3億円」という過酷な山に挑む、今の私の挑戦そのものです。
次回、第5弾では、再び阿蘇の50kmへと挑み、そして3回目の東京マラソンでさらなる進化を遂げる物語をお届けします。
(第5弾:阿蘇50km②・防府読売②・東京③編 へ続く)

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